カダフィの目的は?

3年前、地中海岸の古代遺跡を見にリビアにいったとき、空港でも町でも、ビルボードといえばカダフィの肖像で、他に広告がまったくないのが異様だった。ただし、税関や入口、出口の表示までアラビア語でしか書かれていない国際空港に、「この空間、売ります」と英語で書いた垂れ幕が下がっていて、「いよいよここにも、商業主義がやってきたか」、と思ったものだ。

女性も含め、人々はおおらかで、言論が抑圧されているようには見えなかった。物乞いもいなかったが、実際にいないのか、いたら留置場に入れられるためか、それはわからないが、警察国家という印象は受けなかった。いろんな国を旅しているが、警察国家かどうか、は、旅行者にも比較的よく見えるものだ。内陸部の砂漠へも出かけたが、どんな村にも水があった。砂漠の水源を掘り当て、国中に水パイプラインをはり巡らす治水事業が成功しているようだ。

当時も、国際社会からはテロ国家、テロ元首とみなされていたが(アメリカの禁輸措置解除の前だった)、行ってみると、意外なことだらけだった。1975年の革命に成功したあと、カダフィは国内的には人々の暮らしを豊かにする政治家(これこそ、政治家の使命だと思うけれど)として動き、国際的には、反米を旗印とした革命家(革命家は孤立してテロリストになる)として妙な方向に先鋭化していったのだろうか。

でもねえ、今、軍需品を大量に買って軍備を補強するのはなぜなのか、ちょっと気がかりではある。
禁輸措置のあいだ、何も買えなくて、防衛関係のものがみんな老朽化しているから、というのなら、ナットクいくのだけれど。

カダフィ大佐の目的が、アメリカをやっつけることから、「アフリカ(とくにイスラム世界)のリーダーになり、統一アフリカをつくること」に変わっているのは事実のようだが、そのための軍備だとしたら、まだまだ目は離せない。