「両親が休暇に出かけた年」

1970年ブラジルのサッカー熱狂時代、反体制派の両親が「休暇に出かける」とウソを言って地下に潜ったとき、祖父のアパート前に置き去りにされた少年が、隣人の独居老人や近所のユダヤ社会の人々に面倒を見てもらいながら親の帰りを待つ、という物語だ。「ワールドカップまでには帰るからね」という親の言葉から、少年が首を長くして待つのはワールドカップ自体でもある。
ペレがいたブラジル・サッカーの絶頂時代が、強圧的な独裁政権の時代だったことを改めて思い出す。
少年の祖父はユダヤ人だが、少年はユダヤ人ではない(母親がユダヤ人でなければ、ユダヤ人ではない)。しぶしぶ「異分子」の面倒を見始めた独居老人はじめ、強いアイデンティティで固く結束するユダヤ人も、サッカーでは熱狂する「ブラジル人」だ。ユダヤ人社会の偏狭なまでのユダヤ性とほほえましいサッカー・ナショナリズムを背景に、少年の孤独となぐさめ、どんな少年にも訪れる思春期のはじまりが、淡々と描かれる。
ユダヤ人社会という「特殊」にサッカーという「普遍」を対比させたのは巧みだが、監督自身、ドイツ系ユダヤ人の父を持つというから、自分の子供時代が下敷きになっているのかもしれない。