パリは掘りごたつ

parisienne752008-11-07

私はなぜ、こんなトシになって、一人でパリに住んでいるのだろう。秋も深まり、日が早く落ちるようになり、しかも雨など降っていると、寂しくなって自問する。まあ、それも一瞬のことではあるが。

パリは私のやりたいことがやれる場所だ。今やっている勉強も、教授に話せばすぐ聴講させてもらえたし、図書館も自由に使える。学校帰りには、近くのおいしいパン屋さんに行ってパンを買ったり、好きなカフェで簡単だがおいしいお昼を食べたりできるし、午後はジムで体力作りをしたり、公園をジョギングしたり、やりたいことが何でも、お金をかけずに簡単にできる。これが、お金がかかったり、手続きがややこしかったり、遠出しなければならなかったりだと、意気が削がれて、結局何もしないで終わってしまうだろう。

コンサートもオペラも展覧会も、ここではなんだか、すっと行けるのである。もちろんこちらはお金がかかるが日本ほどではない。展覧会は行列して入ることが多いとはいえ、中は日本ほど押し合いへし合いにはならない。しかもその質の高さ、バラエティときたら、肩を並べられるのはNYかロンドンくらいだろう。

結局、私はたいへんな無精者なので、ややこしいのがいや、人ごみがいや、遠出もいやなのだ(旅行の遠出は大好きだが、日常生活で遠出するのはまっぴら)。でも、欲張りだから、努力しないで好きなこと、楽しいことをしたい。
よく考えると、パリは、冬の掘りごたつのようなものではないか。掘りごたつに入っていると、卓の上にミカンのカゴ、新聞、本、コーヒーカップ、水差しと、必要なものを手近に並べて、外に出ずに過ごせてしまう。パリにいれば、掘りごたつに入っているように、私にとって必要なものが全部、手近に揃っていて、心地よいのである。

もっとも、好みが異なる人にとっては、そうはいかないだろう。
今日、窓辺のプランターに花を植えて思った。プランターは、階下のご夫婦に「何か植えたら?」と3年ほど前にもらったものだ。しかし、土は買わなければならない、床に古紙を敷いて植えるのも、植える前に土に水やりするのもたいへんな作業だ。土をいじるのが好きな人は、パリのど真ん中の、テラスもないアパートになど絶対に住みたくないだろうなあ、と。
幸い、私は趣味も都市向きなのだ。

それともうひとつ、日本に住みたくない、と思う理由の大きなものが、日本の政治感覚の鈍さである。フランスの田舎は知らないが、少なくともパリでは、政治感覚の鋭い人がたくさん住んでいて(フランス人とは限らないが)、先日のオバマ・パーティのように、反応したい事象があれば、必ず受け皿が見つかる。(写真は、オバマ・パーティのあと、始発電車を待つ若者。後ろの広告の写真は折しも、米マウントラッシュモアの偉大なる大統領の巨大モニュメント)
麻生首相って、アメリカの大統領が誰になっても、日米友好関係に変わりはない、とアホ言ってるよ」
と東京の姉が電話で言う。
あー、私のパリ住まいはしばらく続くだろう。