1942年、ヴェルディヴのユダヤ人一斉検挙

オランダに住む友人から、「今読んでる本に出てくるのだけど、パリのヴェルディヴってどこにあるの」と聞かれた。
調べてみると、1942年の7月、ドイツ占領下のフランス、パリで警察による大規模なユダヤ人狩りがあり、逮捕されたユダヤ人がアウシュビッツに移送される前、数日間監禁されていた場所のことだった(冬の自転車競技場を短縮した言い方)。エッフェル塔近くにある日本文化会館そばの公園に、記念碑が立っているが、あのあたりには何度も行っているのに、これまで全然気づかなかった。メトロの最寄り駅ビルハケムにも、当時の写真が展示されているが、注意を払ったこともなかった。知らない、というのは恐ろしいことで、見えても見えないのだ。

記念碑には「 1942年の7月16、17日、パリとその郊外に住むユダヤ人13152人が逮捕され、アウシュビッツに送られた。ナチ占領軍の命令を受けた仏ヴィシー政権によって、4115人の子供、2916人の女性、1129人の男性が、ここに建っていた冬の自転車競技場に非人間的な状態で収容されていた」とある。

この一斉検挙(ラフル)を指揮したのは仏警察の責任者ルネ・ブスケで、50年以上も裁判にかけられることなく自由な生活を満喫していた。戦後は、国の復興や冷戦への対応が重要課題だったし、フランス人の多くが、自分たちも被害者で悪いのはすべてドイツだ、と信じていたため、内部にいる「人道に対する罪」犯罪者を追及する気運は、長い間熟しなかった。ブスケは、雑誌のインタビューで「ヴェルディヴ・ラフル」との関連を追及される78年まで、政府要職に就き、ミッテランとも親しかった。しかし1993年、メディアの脚光を浴びることを夢見る、精神病歴のある男性に自宅前で銃殺された。生きていたら、いずれは「人道に対する罪」で裁かれていただろう。

友人の読んでいた本を私も買って読んでみた。パリ生まれの英仏女性作家タチアナ・ドゥ・ロズネーの作品で、英語版は「サラーの鍵」、仏語版は「彼女の名前はサラー」。フランス人と結婚した米女性が、これから引っ越しするために改装している夫の両親のアパルトマンの秘密を知って、もとの持ち主を探していく物語が、そこに住んでいたユダヤ人少女サラーの物語と交互に展開していく。サラーの家族は「ヴェルディヴのラフル」で検挙されたが、彼女だけ収容所を脱走して生還した。サラーには、何があってもパリの家に戻らなければならない理由があったのだ。サラーとその家族の描写は、胸をうつ。

この小説の映画化ではないが、今年3月、このユダヤ人狩りをテーマにした仏映画、「ラ・ラフル」(2009年)が上映される。
http://www.ivid.it/community/index.php?id_scheda=2321&pageid=scheda&urltitolo=LA+RAFLE
アラン・ドロンが主演する1976年の映画、「クライン氏」にも、このラフルの様子が描かれているようだが、こちらはアメリカのジョセフ・ロージー監督の作だった。
歴史の影の部分が一般に知られるようになり、その責任が忌憚なく語られるようになるまでには、ずいぶんと時間がかかるものだ。