ザンスカーの少年僧

「ヒマラヤ、空の路」というドキュメンタリー映画を見た。ザンスカー・ヴァレーの奥地にあるプクタル・ゴンパ(僧院)の少年僧の話だという。この一帯を一緒にトレッキングした友人がパリ映画ガイドで見つけてくれた。
http://japan.unifrance.org/映画/31047/himalaya-le-chemin-du-ciel

(2008年撮影。ここへ来るために、5日も余分に歩いた)
映画が始まるとすぐ、この少年僧に会ったことを思い出した。私は、食事中のこの少年の写真も撮っている。映画では、哲学の授業に出たり、子供同士で「白い馬は、なぜ白いと言えるのか」などややこしい問答をしていたので、この写真も、食卓での世間話のはずがない。きっと「物は、見えるから存在するのか。見えないと存在しないのか」などとやっていたのだろう。
(2008年撮影。映画の少年は左端。右端の青年も映画に登場)
映画のなかで少年は、「5歳で僧院に入った」、「僧である叔父のようになりたいと思った」、「ここの暮らしに満足している」などを語っている。でも、何ヶ月かに一度の帰宅では、家族と別れるとき、決して泣かないが、目には涙をいっぱいにじませていた。カメラはとても自然に、少年の胸のうちを捉えていて、ドラマをわざと作っていないところがいい。車道がある村に出るのに数日も歩かなければならず、冬は雪と氷に閉ざされるこの遠隔の地で、淡々と暮らすこと自体、大きなドラマなのだ。

ヤクの乾燥糞をストーブにくべながら、少年の母が言う。
「外国に行ってみたいなあ。写真でしか見たことないけど。あちらじゃみんな幸せに違いないわ」
少年に付き添って来た僧はきっぱり言いきる。
「ここと同じだ。やることがいっぱいあって、大変だよ。あちらでは、人はいつも満足していないんだ。自分が持っているものに満足せず、自分が持っていないもの、自分がやらなかったことのことばかり考えている」

僻地の僧院、という閉ざされた世界に住みながら、いや、だからこそか、ほかの世界を、ほかの人たちの生を、よく見通している。