アフリカで骨折治る


1週間ほど、アフリカのマリへ行ってきた。だいぶ前に予約していたドゴン地方のトレッキングだ。「2ヶ月間、旅行不可」という医者の手紙を用意しながら、キャンセルをぎりぎりまで引き延ばしていたら、なんだか出かけられるような気がしてきた。で、思いきって行ってみたら、どんどん調子がよくなって、きのう元気に家に帰ってきた。
ひょっとしたら、44度の暑さの中を1日5、6時間も歩いたのが、骨によかったのではなかろうか。ショック療法のようなものである。

それにしても暑かった。パリの旅行社は、日中36度、夜20度くらい、と言っていたのだが(これなら慣れている)、日陰でも39度。噴水も凍るパリから、いきなり40度の温度差だ。パリであれほど追っかけていた太陽が、ここでは容赦なく照りつけ、まるで悪魔のようだ。トレッキングは朝7時ころから11時ころまで(このあと歩くのは自殺行為だ)、昼食と昼寝のあと、午後4時半ころから2時間ほど歩く。
トレック最後の日は、朝の歩きの後、顔がふくれあがり、目が塞がって歩けなくなった。暑さと水の飲み過ぎだろう。夕方のトレックでは、牛が引く大八車(トレッキング中に使う食材の箱の上に、私たちが寝るマットレスが積み重ねてある。夜はこれを敷いて、満天の星空の下で寝るのである)に横になって、野営地まで連れて行ってもらった。ちょっと情けなかった。私の足下には、晩ご飯の鶏が数羽、生きたまま吊るしてあった。
(断崖が遠方に見える。砂丘の向こうは緑、こちら側は赤い砂漠だ。)
マリ中央部のドゴン地方は、全長200キロほどの断崖とバオバブがにょきにょき生えている半砂漠の平原から成っている。断崖の上や中腹、断崖下の平原には、ドゴン族の住む村が点在しているが、平原の向こうに連なる砂丘を越えると、緑もまばらな砂漠になる。砂丘の上に立つと、砂丘の内は緑、砂丘の外が砂色一色と、線を引いたように違うのがわかる。しかし、砂漠に入っても、小さな村がところどころにあった。よくまあ、こんなところに人が住み着いたものだ、もっとましなところはなかったのか、と思う。「豊かな村はさまざまだが、貧しい村は一様である」。トルストイをもじって言ってみた。貧しい村では、女子供が井戸に群がって水汲みをし、裸足でハナを垂らした子供たちがわらわらいて、男たちがわずかな日陰でごろごろしている。

しかしこの貧しい地は、神話や習俗を彫った木の扉、踊りの仮面が豊かな土地なのである。昔、ドゴン族の創世神話を読んだことがある。
「はじめに混沌があった。雨が降り風が吹いて土地ができた。土地の上にびっしり雲がくっついて不便なので、女たちがシャモジでつっついて雲を追いやり、空ができた」とかいう物語だった。この物語を描いた扉は見られなかったが、月を掲げる女、太陽を掲げる男の彫り物はよく見かけた。女が月を作り、男が太陽を作ったらしい。暑くて頭が働かず、残念ながらガイドの説明をあまりよく覚えていない。やみくもに撮った写真でも整理して、思い出してみよう。

確かなことは、頭でなく舌が覚えていることだ。バオバブの実がほの甘くおいしかったこと、夕食のクスクスにサツマイモが入っていたことーー。材料は貧しくても、料理人の腕は確かで、誠意をこめて作っている味がした。