緑のチュニジア


10日ほど、チュニジアに行っていた。
海辺は、欧州ツーリスト向けのホテルだらけだが、内陸部はあまり開発されていない。去年、海辺のハマメットに滞在し、エルジェムやスースなどチュニジア東部の遺跡を見て回ったので、今回は、内陸部に行くことにした。チュニジア内陸部こそ、ベルベル人の国ヌミディアフェニキア人の国カルタゴによって築かれ、後にローマ属州となった町の遺跡が点在する「遺跡地帯」なのである。

チュニジアは今、雨季である。ツーリストには不便だが、地元の人はこの季節を「緑のチュニジア」と呼んで、いとおしむ。砂漠のような大地が、この季節だけ色鮮やかな緑に覆われ、小麦やオリーブの豊作を保障するのだから、文句は言えないが、なんと10日のうち4日が雨だった。

●大雨だったから、まずローマ時代のモザイク・コレクションでは世界一のバルド美術館に行く。これで3回目だが、2-4世紀のモザイクの物語性、絵画性にはいつも感銘を受ける。

●翌日、チュニスから130km西のブラ・レジア遺跡へ。カルタゴをはじめとする他の遺跡と同じく、今残るのはローマ時代のものだけだが、紀元前4、3世紀のヌミディア王国時代には、王族が住んでいた、とされる町だ。暑さを避けるため、地下に作られた家の床モザイクが美しい。
このあと、ヌミディアの大理石産地として知られるチェムトウへ。大理石は出るが、水が出ないこの町に、ローマ人は水道橋で水を供給した。水道橋や大理石の採石場、フォーラム、劇場などが残っている。ここで採れる赤黄色の大理石はローマ時代、最高級の大理石として珍重された。

●その翌日、チュニジア最大の遺跡、ドゥッガへ。ここもフェニキア時代のものは紀元前3世紀の3層の廟だけで、ほとんどがローマ、ビザンチン時代の遺跡だ。紀元前3世紀には、ヌミディア王マシニッサが住んでいたといわれる。マシニッサは、あのザマの会戦(紀元前202年)で、ローマに与してハンニバルと戦った王である。
この遺跡は、かつての姿(といっても、ローマ時代だが)が思い描けるほど、広範囲に発掘、復元されており、カルタゴと並ぶチュニジアの観光目玉となっている。日本から団体旅行も来ていて、カルタゴでもこのグループをみかけた。