冬の夜、劇場で過ごせば春が来る

今年はほぼ毎月、1週間は家を空けていたが、11月は丸ひとつき、パリにいた。授業が始まったからだが、それに合わせて、いろいろなコンサートの切符を買いだめしていたからでもある。
10月末に夏時間から冬時間に切り替わると、急に夜の訪れが早くなる。季節が悪いときに授業があるので、長い旅行ができない。で、色んな劇場に足を運んで、暗くて寒い欧州の冬をやり過ごそう、と思ったわけである。


まず、オペラ・ガルニエでドイツ人のテノールヨナス・カウフマンのリサイタルがあった。声よし、姿よし、演技よしと、3拍子そろったこの歌手をぜひオペラで見たかったのだが、彼が出演するオペラ「フィデリオ」は売り切れだった。仕方なく、リサイタルのチケットを買った。
ところが、である。直前に友人のデジカメ盗難事件が起こり、息も絶え絶えに着席したためか、前半、音楽に集中できず。心身ともに彼の声に没頭できたのは、後半のR・シュトラウスになってからだった。
デジカメ泥棒は、助走して友人のカメラを盗み、そのまま走り去った。泥棒、と叫びながら追跡したが、こっちはヒールだし、くやしいかな、人ごみで見失ってしまった。リサイタルのあとで警察に行き、家に戻ったのは夜中1時だった。
カウフマンは、バリトンのような深い音質をもつ、私の好きなタイプのテノールだ。なんとしても「フィデリオ」が見たい。 ルモンドの評を読むと、演出やキャスティングに文句を言いながらも、「ジョン・ヴィッカースのフロレスタンを忘れさせるほど」とカウフマンのフロレスタンを褒めている。
今晩、「切符1枚買います」の紙を持って、オペラ座の前に立ってみようかな。

それから、シャトレ劇場で、スティングが主演するオペラ「ウェルカム・トゥ・ザ・ヴォイス」。オペラを愛する労働者(スティング)とディーバ(シルヴィア・シュワルツ)の不可能な愛と「人間の声」讃歌の物語だ。ロック歌手とオペラ歌手の二重唱はおもしろい試みではあるが、カウフマンを聴いたあとでは、ちょっと苦しいものがあった。警官役のエルヴィス・コステロの声はもう終わっていた。


次に、ジャズピアニスト、Bojan Z のコンサートがハンガリー文化会館であった。1968年ベオグラード生まれのBojan Z は、フランスに住む世界的ジャズ・ピアニストで、フランス政府から勲章ももらっている。Zで始まる複雑な名字はたいていの人が発音できないので、Bojan Z で通っている。
出だしは、ジャズと現代音楽の合間を行くような曲だった。それから、左手で弦をたたいて小太鼓のような音を出しながら、右手でリリックなメロディを弾く。ピアノって、鍵盤ではなく、中にある弦から音が出る楽器なんだ、と改めて思う。切れのよい音の流れに身を任せ、至福の時を過ごしたが、不思議なことに、あとで考えると、メロディを少しも覚えていないのだ。そのかわり、カラフルな音符が踊る様が今でも目に浮かんで来る。
その1週間後、同じホールで、「オスカー・ピーターソンに捧げて」というカナダのジャズトリオを聞いた。100人くらいしか入れない小さいホールだが、演奏者と観客の間に垣根がなくて心地よい。オスカー・ピーターソンの近所で育ち、親交があったピアニスト、オリヴァー・ジョーンズが、師と仰ぐピアニストへの敬愛の情を余すところなく示した、いいコンサートだった。

ハンガリー文化会館という地味な場所で、いいコンサートをやるものだ、と感心した。