Gerboise Bleue (ジェルボアーズ・ブルー)からちょうど49年


きのう、アジア食材店に豆腐を買いにいった。その帰り、通りがかりの映画館で、興味深い映画が始まるところだったので、豆腐とネギ、醤油瓶が入った買い物袋を下げて、入ってみた。夕方5時近く、それほど観客はいなかったが、みんなポツポツと一人で座っていた。あまり、誘いあわせて見る映画ではなさそうだ。

映画は、Gerboise Bleue (ジェルボアーズ・ブルー)、フランス初の核実験の名前がタイトルとなっている。
フランスは、ちょうど49年前の今日1960年2月13日、まだ仏海外県(植民地より本国への統合の度合いが強い)だったアルジェリアサハラ砂漠で初の核実験を行った。広島に落とされた原爆の4倍の威力を持つ核爆発だ。フランスはこの後、1966年まで210回の実験をサハラで行い、その後、ポリネシアに場所替えした。まさに植民地の”有効利用”である。

47年間立ち入り禁止だった実験地に、科学者や被災者が足を踏み入れたこの記録映画は、冒頭からショッキングだった。
実験にかかわった元軍人が、核実験だと知らされずに参加したこと、大気実験のキノコ雲は目を焼く強さだったこと、その後も軍人や地域住民に対する健康診断はなかったこと、彼自身いまは骨肉腫に冒され手術を繰り返している、などを語る。彼の鼻は半分とれていて、右目は死んだ魚のよう、左目には楕円形の大きな絆創膏が貼られている。話の途中、彼が絆創膏をはがすと、目があったところに、大きな空洞が顔いっぱいに広がっていた。すべてを吸い込むブラックホールのようだった。

もう一人の元軍人は、外見は普通だが、様々な症状に悩んでいて、薬の束を振りながら「これが私の人生 vie だ」と叫び、Vive la France!(フランス万歳)」と付け加えた。彼は、映画クルーと一緒に広大なサハラの中の一点、グラウンドゼロを探し、被爆した砂漠の民に贖罪を求める旅に出る。

立ち入り禁止だった実験基地には、今もさまざまな機材が放置され、放射能を測ると、47年後でも異常に高い数値を示していた。長居はできない、と映画スタッフがつぶやく。やっと見つけたグラウンドゼロの一帯は、黒いカサブタ状の砂で覆われ、遠くにコンクリートのバンカーがひとつ、ポツンと残っていた(写真)。

フランス政府は2006年、「あのあたりに人は住んでいなかった」と、砂漠の奥深くに生きる人々を事実上、黙殺しているが、実際は、軍人を含む3万人がサハラで被曝したと見られている。2001年に「核実験元仏軍人協会」が誕生し、3000人の元軍人(全員がガン、白血病など病気に冒されている)が加入しているが、うち、ヒバクシャと認められたのはわずか9人だ。

放射能の影響は何十年もかけてジワジワでてくるから、「ちょうどそんな病気にかかるトシゴロだから」として、因果関係を認めてもらえないのだ。それで苦労した人は日本にもいただろう。
このあたりのオアシスのナツメヤシはいま、ほぼ枯れかけている。土地に対する影響もジワジワでるようだ。また、障害をもって生まれた子供もたくさんいる。

そんな歴史をまったく知らず、無邪気にアルジェリアの砂漠トレッキングをした自分が恥ずかしく思えた。

日本でも上映されるといいな、と思う。
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