マナリからクルへ、クルからデリーへーーバスに揺られて15時間

マナリで月曜日、まずSPオフィスを探す。行き当てた警察で、外人関係の業務はマナリではなく、クルでやっている、と聞く。クルはデリー方向にローカルバスで1時間半。友人がマナリ観光をしているあいだ、私は1人でクルへ。行ってみると、担当者が休みなので、明日出直すように、と言われ、仕方なく翌朝また同じオンボロバスでクルへ。立錐の余地もない混みようだが、人々は親切で、一生懸命詰めて座らせてくれた。

2度目のクル。今度は、「この事務所では延長許可を出す権限がない。これができるのはデリーの内務省だけだ。ここから書類一式をデリーに回すことはできるけれど、郵送なので、何週間かかかる。行ったほうが早いですよ」。この役人だけは、ちゃんと話を聞いてくれ、一応、書類一式を受け取ってくれた。
仕方ない、マナリのゲストハウスに荷物を取りに帰り、その日の夕方5時のデラックス・バスに乗って、デリーまで行く。デリーには翌朝8時頃に到着するという。冷房だけでなく、ボリウッド映画の夜通し上映がデラックス・バスのサービスらしい。眠れない。やっとうとうとし始めた頃、バスの前で土砂崩れが起こり、バスが急ブレーキをかけて停止した。土砂の落下が収まるまでバスは動かない。その後は恐ろしくて一睡もできなかった。
朝、デリー北のチベット地区にある安ゲストハウスに荷物を置いて、顔を洗い、身繕いをして、内務省の外人課にタクシーを飛ばす。行ってみると、すでに大勢の人が待っていて、私は38番だった。待合室に番号電光掲示板があるが、点いていないばかりか、埃まみれで使われた形跡がない。番号が呼ばれるのかしら、と思いながらじっと待っていたが、誰も呼ばれず、動きがない。

部屋の隅のカウンターの周りが人だかりなので、私もその群れに入ってみる。インドの役所では、何の説明もないので、人の動きを見て動く必要がある。要するにインドでは、日本のビザセンターと同様、質問してもほとんど答えてもらえず、右往左往しているうちに、運がよければ自分の順番が回って来る、ということらしい。やっとカウンターの女性から用紙をもらえた。 ほかの人を観察してわかったことだが、 パスポートなどのコピーを添えて用紙に記入し、それを彼女に渡してから、呼ばれるのをじっと待つらしい。

私の番がきたのは正午ごろ。係官にあらましを説明しようとしたが、聞いてくれない。そうだろうと思って、一応、あらましを紙に書いておいた。読んでくれればいいが。トレッキングのコピーも添えろ、というので、コピーを取り、書類一式を渡すと、「午後5時に出頭せよ」。

午後5時。どうやら、国籍ごとに名前が呼ばれるようだ。欧米が終わった。イギリス人はいないなあ。アフリカも終わった。次はアジアらしい。午後6時頃、やっと国籍と名前が呼ばれ、茶色の封筒を渡された。しっかり封がしてある。封筒をどうするのか、一切説明がない。居合わせた日本人ビジネスマンに、「この封筒、開けて見ていいんでしょうかねえ」と聞かれたが、彼の封筒にはデリーのオフィスの住所が、私の封筒にはクルのオフィスの住所が書いてある。ということは、おのおの、そのオフィスにいかねばならないのでは? が私たちの結論だった。