朝から晩まで、デリー南北を何度も往復

17日早朝、荷物をインペリアルに預け、手渡された住所にタクシーを走らす。行ってみると、数百人のアフガン難民やらいろんな人が並んでいた。いったいいつになるやら、気が重くなる。待っている間、モンスーンの激しい雨が降り始めた。周りは瞬く間にぬかるみになる。

一体何時間かかるのか、どんな書類を用意すべきなのか、何もわからず、気が変になりそうで、日本大使館にSOSの電話をかけた。大使館に助けてくれ、というより、こういう事情に通じ、事を円滑に運んでくれる旅行会社かコンサルタントを紹介してもらえないか、と聞いたが、「インドは、役人ですら、みんな違うことを言う国です。誰の言う事が正しいのか、誰にもわかりません。だから、誰かに頼んでも、同じように並んで処理するしかないので、意味ないですよ」と言われた。大使館の人も、いろんなご苦労がおありなのだろう。

3時間並んでやっと受付にたどり着いたが、ビザを見るなり「ここじゃない」と却下された。じゃあどこに行けばいいの、と叫ぶと、内務省の住所をくれた。空港の役人だって、ちゃんとしたことが分かっていないのだ。臨時上陸許可をくれた職員だって、どこでも延長が可能、という誤情報をくれたおかげで、今、こんなに苦労しているのだ。あのとき、カトマンズに出ていればもっと簡単だった。時間がないので、またタクシーにのり、内務省オフィスへ急ぐ。

行ってみると、マナリから15時間バスに揺られて行ったあの同じオフィスだった。もう要領がわかっているので、スムーズに受付を終えられた。 午後2時、前回と同じ役人の窓口へ。役人は、「また来たのか、今度は何だ」と怒鳴るので、こっちも怒鳴り返す。「山のなかで病気になって、レーに着くまで病院がなかった。そのあと飛行機がなかった。きのう16日、帰国しようとしたのに、飛行機に乗せてもらえなかった。一刻も早く(こんな糞みたいな国、とは言わなかったが)出国したい」。言われた通り、申請書に8月18日と記入(18日には家に帰りたいよー)。予想通り「17時に来い」と言われる。

17時まで3時間しかない。その間に航空券を調達しなければ。エアインディアに電話すると、私のチケットは搭乗者現れず、の扱いになって、キャンセルされたという。予約オフィスに来ないと処理できない、といわれ、再びタクシーに乗ってエアインディアへ。この日は一日、ぼったくりタクシーに言われるままの料金で、デリーの北から南へ、南から北へ、何度も往復する羽目となった。
エアインディアで、18日のチケットに変更したい、と頼んだが、「17日は飛んでるけど、18日は飛んでない」と、空港のエアインディア職員とは反対のことを言う。おかしいではないか、と詰め寄ると、結局、17日の夜中過ぎ、日付では18日0時40分発の便を、ここでは17日の便と見なしていることがわかった。日付で18日の便はこれしかなく、あとは19日の昼の便まで何もない。18日中に出国しなければならないのは明白なので、一か八かでこの夜中便に変更。2度も変更しているので、追加料金だけで、新たにチケットが買えるくらい支払うことになった。