茶色い封筒の宛先に出頭

この航空券を持って、17時前にオフィスに到着し、役人に事情を話して、封筒の宛先を空港にしてもらえないか、と頼んだが、それは絶対に無理だという。「でも18日はこの夜中便しかなく、明日の朝、別のオフィスに封筒を持って行かねばならないのなら、この便に乗れないのですよ」と訴えると、「ディレクターのところに行って説明しろ」。ディレクターの部屋に乗り込んで事情を説明するが、ラチがあかない。そこで、「封筒を持って行かねばならないオフィスは何時まで開いてますか」と聞くと、18時まで、という。それなら、今日行ける可能性もある。封筒を今すぐ下さい、そうすれば、そのオフィスに今から行けますので、と頼み込み、すぐ封筒を出してもらった。タクシ−運転手に封筒を見せ、大急ぎでそこに行ったら、そこは、空港の役人から行くように言われ、3時間も無駄に並んだオフィスだった。

まだ17時半なのに、今日はもう終わり、という警備員を押し切って中に入る。朝から並んでいただろう人がまだ数人、待っていた。幸い、パスポート写真とパスポート、ビザのコピー、十分な現金を用意していたので(どれか一つでも欠けていれば、その日の受付は不可能だったろう。こんな国を旅するときは、必ず、これらを準備しておかねばならない)、ぎりぎりに受け付けてもらえたが、それでも支払いカウンターで「今日はもう終わり」といわれて、支払いをさせてもらえず、途方にくれた。インド小役人は、これ見よがしに札束を布に包んで封印し始めた。

インドではこれで引き下がってはいけない。買い直したその日夜中発の航空券を振りかざし、「オーバーステイの旅行者が一国も早く出国しようとしてるのに、これではこの飛行機に乗れないではないか」とわめきまくり、やっと支払いを受け付けてもらえた。1400ルピーだった。
領収書を持って、再び別の窓口へ。やっとそこで、別の役人がパスポートにスタンプを押し、8月18日まで有効、と手書きした。パスポートを受け取ったときは、ほんとうにほっとした。それでも念を押さねばならないのがこの国だ。「これで、この夜中の飛行機に乗れるのですね?」と尋ねたら、役人は、「そんなことはあんたの問題で、こっちの知ったことじゃない。これで、自分の仕事は終わったんだ」。

インペリアルにチェックインしたのは夕方7時過ぎ。シャワーを浴びて少し仮眠し、再び空港へ。2-3時間の滞在だった。出国するまで、不安だったが、やっと出国できたときの嬉しさ!
(デリーのオアシス、インペリアル)

「インドを甘く見るなよ」といいながら、わざと意地悪をするのが、インド小役人のやり方らしい。インド人のほとんどが人間以下の扱いしか受けていない国だから、外国人が人間らしい対応を求めても所詮無理な話なのかもしれない。このオフィスでは、欧米人のツーリストも、げんなりした表情で待っていた。ひとりはパスポートを紛失した人で、デリーに無駄に4日も滞在している、と言っていた。パスポートはすぐ再発行してもらえても、ビザや入国記録がないと、ややこしいことになる。もう一人は、朝の行列で、大きなバックパックを背負って一番前にいた人だ。あなたはどうしたの、と聞いたら、「話したくないんだ」と陰鬱な表情で答えた。

私は一生もう、インドには行きたくない。ラダックは好きだが、独立でもしない限り、ラダックにももう行かないだろう。