映画、La Rafle (一斉検挙)

映画、La Rafle (一斉検挙)を見た。1942年7月、ナチ占領下のフランス警察によって、パリに住むユダヤ人が一斉検挙された事件を扱った映画だ。ユダヤ人の友人を誘ったが、「恐ろしい時代を思い出すのもいや。見たくない」と言われた・・・。

映画は、酷評にすぎるかもしれないが、巨大な人道犯罪をメロドラマに矮小化してしまった、という印象を拭いがたい。徐々に強まるユダヤ人の社会的迫害、理不尽な一斉検挙、ヴェルディヴ(冬の自転車競技場)へのユダヤ人一時収容、フランス国内の過渡的収容所への移送、献身的な看護婦と子供たちのふれ合い、そこから脱走した少年がパリ解放後、看護婦と出合うラストシーン。確かに涙を誘われる。だが、それでいいのか、という思いが頭をもたげる。「かわいそうな子供たち・・・ほんとにひどい目にあったのね」で済まされる問題ではないだろう。

ナチ支配下とはいえ、これは、フランスのヴィシー政権が、フランス警察が、フランス人が手を下した戦争犯罪なのである。映画のなかで、配管工の妻に化けてヴェルディヴを抜け出そうとする少女を、「演じるのがうまいじゃないか」とつぶやいて、見て見ぬふりをするフランス警官や、火事でもないのに収容者に水を与えるためにやって来る消防署員など、所々に「いい人たち」が出ては来るが、実際、これだけ悲惨な事態が進行しているのを、パリの人々はどれだけ知っていたのか。命令に従わざるを得なかった警察や軍の人々は、収容された人々が近々抹殺されることを知っていたのか。彼らは一体、何を考えていたのか、戦後、彼らは何を考えたか。残念なことに、映画はこうした重要な疑問には何一つ答えていない。

封切りの前日、国営放送フランス2で、フランス現代史の黒い汚点とされるこの一斉検挙に関する討論があった。この映画のもととなった回想録の著者ジョゼフ・ワイズマン氏は11歳で検挙されたが、過渡的収容所からの脱走に成功した。氏は、映画セットのヴェルディヴ(ブダペストに作られた)を見たとき、「まず、あの堪え難い悪臭がのどもとまできた。まるで今、そこにいるようだった、68年も経っているのに」と語った。ユダヤ人で満杯のヴェルディヴ内部の写真は一枚も残っておらず、氏の記憶をたどって再現されたようだが、現実はもっとひどかったに違いない。映画ではなかなかこぎれいで、子供たちが斜めになった競輪トラックで遊び回っていた。討論では、ユダヤ人が抹殺されることをフランス側は知っていたのか、知ったのは何年か、が議論され、歴史家が1942年のこの時点ではもうそれを知っていた、と証言した。
子供の検挙を提案したのは、ナチ側ではなく、ヴィシー政権の首相だったことは、映画でもきっちり描かれている。「親だけ逮捕されて子供が残されるのは困る、社会福祉にはもう余裕はないのだ」。

「お涙ちょうだい」モノが好きでないのは、涙を流すのは簡単だから。ぐっときて涙を流しても、すぐ忘れる。もっと深いところで心を揺さぶられれば、簡単には忘れられない。
とはいえ、フランス人が初めてこの事件を取り上げた、という点では評価できるのかもしれない。これをきっかけに、詳しく調べようと思えば情報はたくさんネットに流れている。