フランスでフクシマを思う

この1年、たいへん苦労した。ブログを書く元気も時間もなかった。いきさつを簡単にまとめて書こうか、と思っている時に、大震災、津波原発事故と大惨事。被害にあわれた方々のことを思うと、私の1年の苦労などほんの鼻くそみたいなもの。だからもう書かない。そのかわり、今のこの事態について思うことを書いてみようと思う。フランスから東北の人々のことを思いながら。

チェルノブイリ25年、フクシマ6週間」。4月26日のチェルノブイリ25周年日は、過去25年を振り返るのではなく現在進行中の危機をどうするか、というなまなましい議論を呼ぶこととなった。
その晩、14区のカフェでフランスの原発に関するドキュメンタリー映画が上映された。ブルターニュ半島の森林部にあるブレニリス原発廃炉、解体のプロセスを追っている。これは、フランス原発地図--チーズ分布図のように見えるが--の左上の端にある、1962年に出来たフランス最古の原発だ。(フランスには原子炉が58ある)

1979年、ブルターニュ独立派による原発テロで送電不能に陥り、EDF(フランスの電力供給会社)は 1985年、廃炉解体を決定した。
①除染と原子炉以外の建屋の解体、
②核燃料の除去、
③原子炉建屋の解体、
という3段階の作業がうまくいけば、フランスで初めての原発解体という”偉業”になるはずだった。しかし、段階②を終えて③に入ったものの、建物の高放射性ガレキなどの廃棄物をどう処理するか、解体作業で周囲の環境が汚染されたのに、さらに作業を継続すればどれだけ環境が破壊されるか、などの問題を解決できず、現在頓挫している。一番肝要の段階③に入る前に、すでに5億ユーロ(600億円)を使い果たしていた。

ここで、わかった。原発は一度作れば、簡単に解体排除ができない。廃炉にこれだけ経費がかかるのなら、電力会社は何としてでも、つぎはぎしながらでも動かし続けたいだろう。原発は、一度作れば永遠に、地球を、未来を脅かす存在となる、ということを、この映画は叫びもせずはっきり示していた。

夜、テレビで原発に関する討論会をやっていた。チェルノブイリ以後、欧州では2つしか原発を新設していない。アメリカだって長い間建設していない。日本はどうか。他国が中止したあとでもどんどん作り続けたうえ、これからも作る意欲満々ではないか。この期に及んで、なんでなの?といぶかしく思う。
テレビ討論に出た原発ビジネスマンは、分が悪くなると「石炭発電が増えていいのか」を繰り返した。「石炭に戻る必要はない、世界で、原発によるエネルギー生産はわずか2%。なくても大丈夫。その分の予算を、代替エネルギー開発に向けるべきだ」と反論されると、原発ビジネスマンは口をつぐむしかない。

そうか、わかったぞ。化石燃料による地球温暖化キャンペーン(温暖化データのねつ造、アル・ゴアのインチキで知られる)は、やはり原発ロビーが仕掛けたものだったのだ!と確信を深めた。先進国で原発建設が先細りになるなか、これから電力需要が増えるはずのインドや中国、南米諸国に対して、化石燃料はいかんよ、原発しかないよ、という下地を作ろうとしたに違いない。日本は政治後進国だから、原発ロビーに丸め込まれたのだろう。


(フクシマ以後始まった、パリ20区役所前での脱原発行動。毎火曜日にやっている)